FC2ブログ
サンライズテニスクラブ
30周年を記念して作ったいつまで続くかわからないページです・・・
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
30周年祝福メッセージ
30周年のために発足当時会員の小林様から素晴らしいお手紙が届きましたので紹介します。
記念式典のときも紹介がありましたが、心のこもったお手紙ですのでブログに載せたいと思います。
是非読んでみてください   グー!                 Koko
    

              「サンライズテニスクラブ発足30周年記念」


この度は「サンライズ発足30周年」を迎えられましたことに、心からお慶びとお祝いを申し上げます。
本当におめでとうございます。

ここにお集まりになられた皆様、また、この30年間サンライズに関わられた方々、皆様のテニスへの熱い思いと、クラブ運営等への努力が延々と受け継がれ、本年この30周年を迎えられましたことに、心から感激すると共に、敬意と感動を禁じ得ません。

私は30年前にこのサンライズ・テニスクラブを立ち上げたメンバーの一人として、本当に嬉しく思うと共にこのサンライズが誕生したいきさつと当時のメンバーの方々のテニスへの燃えるような情熱をエピソードを交えて、皆様にご紹介したいと思います。

30年前、当時私は27歳!あの頃は夢中でテニスボールを追いかけ、汗にまみれて輝いていました。
今は57歳。ふさふさの黒髪は風と共に去り、今は頭が輝いています。(笑)

30年前の昭和53年の早春(4月の連休前頃だったと思います)にこのクラブは誕生しました。
当時、硬式テニスがブームになりかけてた頃です。世界ではジミーコナーズからボルグやマッケンローへ王者が移り変わる頃です。

私たちが走り回るテニスコートは八橋のクレーコート6面のうち2面程度をメイン会場にしていました。

最初の発起人となって呼びかけたのは旧制「西村衣江子(にしむらいえこ)」さんという女性です。司法書士事務所で働く一方で、英会話スクールの教師もされるなど、活動的で皆から慕われる、明るい笑顔の素敵な、とても聡明な方でした。

衣江子さんの事については皆様は既に知ってる方も多いのかもしれません。クラブ発足から数年後にサンライズのメンバーの早川氏とご結婚なされ、幸せな家庭を築かれました。お元気だと思っておりましたが、数年前「がん」のため他界したと聞きました。大変残念です。「美人薄命」といいますが信じられない思いです。30年前のあの輝くような笑顔が鮮明に思い出されます。あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。

話を戻しますが、当時、衣江子さんの明るい人柄に誘われて6~7人の人が集まりました。私もその中の一人でしたが、練習日程表を見てびっくりです。なんとほとんど毎朝5時半から7時半まで練習が入っていました。

こんなに練習するなら、中途半端な気持ちでは出来ないなーと、思ったことを覚えています。私は野球でも、スキーでもゴルフでも何事も一旦始めると凝るタイプで、テニスにもすっかり夢中になっていました。

そのときからとても楽しいテニスライフが始まったのです。私の人生にとって、テニスという、新たな世界へのドアを開けた、記念すべき年でした。

とにかく、毎朝五時に起きて毎晩9時から10時には寝るという、今では信じられない健康的な、生活パターンが約1年以上続きました。

クラブの基本方針としては、「来る者拒まず去るもの追わず」という方針で数ヶ月経った頃は既に60人を越える会員数となったと記憶しています。

当時は携帯電話もない時代ですから、5人~6人に一人の班長さんを置いた連絡網を作って、月に一度は班長さんらが集まり楽しい飲食会を兼ねて幹事会を開き、会の運営などを決めていました。
楽しい懐かしい思い出です。

何故か分からないのですが、とにかくテニスボールを打つのが楽しいのです。これがテニスの魅力かもしれませんね。毎朝の楽しみのため、1日がとても充実していた若き日々です。タイムマシーンがあるなら、もう一度あの頃に戻りたいと思うのは私だけでしょうか。

当時のメンバーの皆さんも、本当にタフで一生懸命でした。ある日曜日の練習時間は、朝5:30から8:00までの早朝練習をした後、八橋公園の向かいにあったファミレス、当時の名前はエルザ・インといいましたが、そこでモーニングサービスの朝食を済ませ、9時からお昼をはさんで午後5時半まで練習し、その後6:00からナイターを9:00までやるという、驚きの延べ15時間半にも及ぶハードな練習をこなしていたのです。

あんなに夢中でテニス漬けになっていたのは、私の人生の中であの時が唯一です。その後私は盛岡・仙台・青森・東京と転勤するのですが、どの地でも所属したテニスクラブでその地元の方々と楽しい交流と貴重な友人が出来、今でも親交を暖めております。これも一重に、サンライズテニスクラブのお陰と感謝しております。

入会のエピソード:某会社経営者  石田哲治さんの場合
当時八橋のコートは練習前にコートから陸上競技場にネットを取りに行かないといけませんでした。
行く途中、壁打ちに適した場所があって、毎朝一人で壁打ちしてる腹の出た(失礼:笑)おじさんがいるのです。それが石田さんでした。当時は既に50歳くらいだったのでしょうか。「今日も打ってるよ!」「また今日も来てる」と噂になり、その熱心さにほだされて、こちらから入会をしませんかと、声を掛けたのです。

ほんとに石田さんも熱心でした。2ヵ月後にはあんなに出ていた腹がスマートになったのです。今の私から見ても、大変な脅威です。
その後何年か会長をしていただいたほか、クラブから生まれたカップルの結婚仲人もしていただくなど重鎮として活躍していただきました。感謝しています。

さてサンライズテニスクラブという名前ですが、発足から数ヶ月した夏ごろだったと思います。会員も増えたので名前を決めようということになりました。
○○エンジェルスとか、スカイなんとかとか等々いろいろアイディアがでましたが、決まりません。

当時八橋テニスコートでは、いつも隣に毎朝練習している軟式テニスクラブがありまして、その時既に数十年の伝統を誇り、名前を暁鐘(ぎょうしょう)テニスクラブと言いました。

暁(あかつき)に鐘が鳴るのか・・・・いい名前だなという話になり、うちは朝早くから練習するんだから、朝日にちなんだ名前がいいんじゃないかとなりました。それで横文字のサンライズという単語が浮かんだわけです。
リーダーの衣江子さんも含め皆もすぐに気に入りました。

あれから30年、今も秋田の地に皆様のお陰でこうしてサンライズテニスクラブが活躍してると聞き、あの当時の人間の一人として、心から感謝するとともに、感激感謝しております。

本日ご持参いただいた皆様は私とは、大方が会ったことがない方々でしょう。でも、テニスボールを打つのが楽しくて楽しくてテニスが好きだという一点で結ばれていると思うと、とても嬉しくなります。
今後の益々のご活躍と、皆様の幸せを心からお祈りいたします。

テニス万歳!サンライズテニスクラブ万歳!
2008年10月18日  (昭和83年)
                                 仙台の空の下から・・・
                                                   小林 和美




貴重な内容ばかりです。サンライズに所属する者としてこのお手紙を大切にしたいと思います。
本当にありがとうございました。花火


スポンサーサイト
【2008/10/21 19:55】 | メッセージ | トラックバック(0) | コメント(5) |
プロフィール

サンライズテニスクラブ

Author:サンライズテニスクラブ
mail:sunrisetennisclub@yahoo.co.jp

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

カレンダー

06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。